『細雪』観劇記

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  • 「こいさん、頼むわ。―」。次女幸子が四女妙子と鏡の前で会話する書き出しで始まる長編小説『細雪』は文豪谷崎潤一郎の最高傑作のみならず我が国の至極の名作である。昭和十九年七月に自費出版されたこの風俗人情小説の舞台化の初演が同四十一年。明治座での上演は今回で四度目、平成二十六年六月以来三年ぶりだった。
  • 初日の三月四日に見た日は通算上演1500回目。商業演劇の世界でこれ位長く続く人気舞台は今や稀有と言える。続演を重ねてきた理由はいくつもある。見る度に新鮮な発見をするが、今回も谷崎文学の魅力、傑作舞台の由縁を痛感したのである。
  • 「美」、「言葉」、「家族愛」。これが最大のキーワードだと思う。最初の「美」は蒔岡家のやはり四姉妹を演じた女優だ。長女の賀来千香子は八代目の鶴子で前回までの次女から“昇格”した初役だった。次女幸子の水野真紀も三女から役が替わって十代目となる。三女雪子が初役の紫吹淳は十二代目、末娘の四女妙子は十三代目になる初役の壮一帆だった。このカルテットは歴代の中でもベスト3に入る美しさで輝いていた。
  • 開幕直後の第一幕第一場は大阪上本町にある本家・鶴子の家。姉妹の父親の法事の場面なのだが、色紋付きの着物に黒い帯を締めた四人の喪服の色の濃淡がそれぞれに似合い、船場の老舗商店の育ちが良い美人姉妹という存在が明確になった。パッと咲いた名花が並んで目を奪う舞台「細雪」の見どころの大きな一つが和服を着こなす“コスチュームプレイ”にあるのだが、姉妹が同時に登場する場面はこの場を始め全三幕にいくつかある。その都度、皆が新たな和服で登場し、まるでファッションショーを楽しむ感覚となったのも美形揃いだったからだ。
  • 鶴子の賀来は先の一場で帯が気に入らないと帯を解きながら振り向く後姿、幸子の水野は芦屋の豪華な自宅で女中たちを采配する動き、三女雪子の紫吹は癖である「ふ~ん」と何度となく答える時のその声の調子と着こなしを変える芝居、そして妙子の壮はお浚い会で舞う地唄舞「雪」のお稽古を演じる二幕二場。長身で蛇の目傘を手にして舞う場面が一枚の絵になった。
  • 美しいのは女優たちだけではない。一幕から終幕まで上手・下手の上に桜の花が登場人物を見守るように咲いている。桜咲く国、日本の美しい風景という額縁の中で生きているのが日本人。谷崎文学の耽美的な世界が一貫している舞台でもある。
  • 「言葉」、つまり台詞による見事な表現も詰まっている。「好きな花は桜、好きな魚は」と幸子の夫貞之助(葛山信吾)が言うと幸子がこう続ける。「明石の鯛」。芦屋の自宅の場だが、二人が初めて出会った時に幸子が話した好みと人柄に惚れた思い出を語る場面だ。食通だった谷崎の真骨頂が込められている。恋人の板倉(川﨑麻世)が病死し、芦屋の家に戻った妙子が述懐する「人間が死ぬ時てあない苦しむものやろか」にはドキッとさせる死生観が浮かぶ。あるいはいよいよ大阪を離れて東京へ向かう前、鶴子の夫辰雄(磯部勉)がしんみりと語るのが「あれは大阪でしか生きられへん女なんや。大阪の土地でしか咲かへん花なんや」。古風で時代遅れでも本家を守り抜くという強い覚悟を忘れない妻の性分をズバリと言い当てる台詞だ。そして三幕の幕切れ。「どんな世の中になってもあの花だけは咲き続けますのやろな」。人の世の無常観が心に染みる言葉だ。
  • 幕切れと言えば再発見したのが各場の終わり方の印象的なこと。一幕では先に書いたが鶴子が後向きで帯を替えていく一場、そして二場では妙子が「雪」を舞う場面。「聞くも淋しき一人寝の枕に響く霰(あられ)の音も…」。余韻を残して、今は逢えない恋しい人を思う心の詞章がフェードアウトしていく。壮の姿が詩情豊かだった。三場になると時代の、さらに人々の人生が急回転する激動を予感させる。昭和十二年七月。姉妹たちの着物が虫干しになっていて振り袖や留め袖など十数枚が舞台狭しと広げられているのが目を奪う圧巻ぶり。しかし戦争の始まりを告げる号外の鐘の音。日中戦争の発端と分かる。立ち尽くす四姉妹。三幕では二人で東京へ移る決意をして抱き合う鶴子・辰雄夫婦。そしてラストの二場。満開の紅枝垂れ桜の下で四人が並び、舞台奥へ歩んで行く。心地良いいつもの主題歌から開幕して、また閉じていく各場の切れがこの舞台の見どころだった。
  • 一方で男達は四姉妹に翻弄される。辰雄、貞之助という亭主、雪子と結ばれる御牧の橋爪淳、妙子が慕った板倉、さらに魅了された妙子とは実らない啓坊こと奥畑啓三郎の太川陽介。この男優陣がピタリと役に嵌まった適材適所。舞台の「細雪」は長編小説のエキスを巧みに織り込んで、家族の絆、姉妹愛をも描いた人生絵巻なのであった。

(演劇ジャーナリスト・大島幸久)

大島幸久(演劇ジャーナリスト)プロフィール
東京生まれ、団塊の世代。スポーツ新聞(スポーツ報知)で演劇を長く取材に携わり、現在演劇ジャーナリストとして活動中。現代演劇、新劇、宝塚歌劇、ミュージカル、歌舞伎、日本舞踊・・・何でも観ます。
著書には「新・東海道五十三次」「それでも俳優になりたい」。鶴屋南北戯曲賞、芸術祭などの選考委員を歴任。毎日が劇場通い。
“大島幸久の『何でも観てみよう。劇場へ!』”http://mety.org