昨年迎えた40周年
僕と綾田とベンガルという、最初の3人のメンバーがたまたま死なないからなんです(笑)。
若い頃、アングラの現場が格好良く見えて、自分たちでなにかやりたいと思ったのが芝居でした。青春の誤解というか、アルバイトしたお金で小屋を借りてね。精神は今も変わりません。そんなことを続けているんです。
僕らがやっている芝居というのは、ずっとアマチュアだと思ってます。上手い下手ではなく。アマチュア性というのが好きで。
東京の人間だから、暑苦しいのが嫌い。劇団東京乾電池は、自分にとって邪魔にならない場所であり続けていた。そしてそれを続けることが性に合っていたんですね。命を賭けてというようなことではなく、無理せずに続けて来られたのは、幸せなことだと思います。
明治座で+1(プラスワン)
なんでやることになっちゃったんだろう(笑)。妖精何人だしてもいいよって言われて(笑)。
明治座のような場所でやるとどうなるのかなあ~?という感じが、自分の中にあったんですね。いいんじゃない?って言っちゃったんです。でも、あとからつらつら考えると、あれ?、どうやればいいんだろう?ってね。
1日だけの公演っていうのがいいですよね(笑)。浅草の木馬館でやった、劇団東京乾電池の旗揚げ公演も1日だけでした。ひどい芝居でね、客席にいた先輩から「柄本!それでいいのか!」と声がかかった(笑)。
芝居は常にそうですが、一人でやっていることではないんですよね。俳優だけではなくて、観ているお客様も含めて。そこでどんなことが生まれるのかわからないことが、おもしろいんでしょうね。
僕は「わからない」という言葉が好きなんです。
わからない中で何かをやることで、何かが生まれちゃうわけですから。何が生まれるんだろう?というのは、やってみないとわからない。元の台詞があったところで、その台詞によって何が生まれるかはわからない。それが生きていくということなんでしょうけれど。
煙草の害について
色々なところで一人芝居はやっていますが、明治座でチェーホフの一人芝居だなんて、どうかしていますよね(笑)。
なんですかね。「かわいそう」「悲しい」というのは、「この人大変だな?」とか いうのは、笑いながら言いません?
例えば、終電が出ちゃうというときに、狂ったように走って来たのに、目の前でバタンと扉が閉まって乗り遅れてしまった人の姿は、すごく笑える。その人たちは、笑わそうとしているわけではなくて、どちらかというと不幸な目に遭っている人だというのが、笑える。笑いというのは角度を変えることによって生まれるんですよね。悲しいんだけれど笑える、それは人間の、ある種の豊かな部分なのではないかと。
夏の夜の夢
劇団の25周年に、とにかくみんなが出る芝居を作りたいと思ったんです。
僕自身が劇団の芝居をやっていない時で、若い子たちはそれぞれユニットを組んでやっていたんですけど、この子達はやっぱり俺と芝居をやりたいんじ ゃないかと、勝手に思ったんですよね。
それで、出る人数の多い芝居は、「シェイクスピア」だろう、「夏の夜の夢」だろうと。安易な発想なんですけれど(笑)。
場所はザ・スズナリで、妖精役なら何人でもいいんだから、とにかく全員出しちゃえと(笑)。衣裳は人と相談せずに自分で考えること、お金を使わないこと、借りるのはOK、ということにしました。
劇団なんですよね、こういうのが。
今はプロデュース公演全盛ですが、うちは劇団でやっていますし、こういうのが好きなんです。だから僕が劇団というものを本当に意識したのは、その25周年の「夏の夜の夢」からだったかもしれませんね。
一昨年の夏は沖縄のフェスティバルの野外テントでやりました。釧路の野外でもやったことがありますが、明治座となると…。スズナリの舞台がいきなりギシギシになる演出も、明治座の舞台だとスカスカだったりするから(笑)。
劇団東京乾電池が
明治座で生み出すもの
いわゆる明治座仕様の、いつも明治座の舞台でやられている芝居のようにやってもしょうがない。
割と一番考えるのは美術のことなんですよ。頭の中で考えて、例えば「ここは海です」といったって、劇場なわけでしょ?何もないということが、想像力の源だという感じがしていて。明治座でもこの考え方でやりたいと思っています。
やることは劇団の今までのままですが、明治座には花道もありますしね、せっかくだったら使わせて貰いたいし…と、頭の中でいろいろこう…かけめぐってます。どうなるんだろう(笑)。
本当にご興味があったら、特にこういうお芝居をご覧になっていないお客様、どうぞよろしくお願いします !












































