大正時代

6大正時代の明治座

二代目左團次から明治座を譲られたのが、伊井蓉峰でした。
伊井は男女合同改良演劇を旗揚げした新派のリーダーでした。
ちなみにその芸名は、二枚目俳優であることから「いい容貌」が転じて名づけられたとされています。
大正と改元されて伊井の明治座となり、明治座は新派の牙城となります。
新派のほかにも、歌舞伎、あるいは楽天会の喜劇などをかけていましたが、大正6年(1917)からは松竹合名会社の直営館となりました。
大正12年(1923)9月1日、関東大震災が起こります。明治座は消失。
ここまでの明治座は久松町の川筋にありましたが、関東大震災により下町の大半が焼失したため、大正13年(1924)1月からは焼け残った麻布十番の末広座を明治座と改称して、大正15年(1926)7月まで興行を行っていました。

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