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スペシャル

愛する人を送り出す女たち。運命を告げる一夜が始まろうとしていた。

スペシャル

人物相関図

人物相関図

女たちの情愛と逞しさが展開  藤田 洋

 「忠臣蔵」というと、赤穂藩旧臣四十七士の、吉良上野介への復讐の仇討事件として有名だ。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」では、顔世御前、お軽、戸無頼、小浪などが登場するが、ひと握りの女性たちである。

 なぜか、と疑問をもった演出の石井ふく子が企画して、昭和五十四年の東芝日曜劇場年末スペシャルとしてテレビ化され、「女たちの忠臣蔵」が誕生した。男だけの「忠臣蔵」のドラマを女性の視点から見直す、画期的な作品が登場したのである。

 テレビの脚本は橋田壽賀子、舞台化の脚本は田井洋子、昭和五十五年に帝国劇場で初演された。明治座では、平成十八年にはじめて上演した。つまり、長い歳月をかけて、練りあげてきた作品を、今回明治座創業一四〇周年記念の第一弾として、取りあげたのである。浜町公園脇の明治座からほど近い場所に両国橋があり、すこし下流には引揚げた一行が渡った永代橋がある。劇中二回もこの永代橋の場が出てくる。余談だが、仇討の引揚げ当日(十五日早朝)は諸大名が城中へ行列して出向く式日に当っていたので、不測の事態を避けるために両国橋を永代橋に変更したのである。

 さて、この作品は大勢の男たちの夫婦、姉弟、恋人たちを中心に綴っている。

 故主君浅野内匠頭の妻瑤泉院阿くり(高橋惠子)、その養母こと(伊藤みどり)、大石内蔵助の妻りく(高島礼子)、大石瀬左衛門の姉つね(一路真輝)、磯貝十郎左衛門を慕う大工平助の娘しの(藤田朋子)、夫間十次郎を激励するため転落して女郎になるりえ(熊谷真実)、それにりくを応援する深川料理茶屋“松乃屋”の女将おけい(中田喜子)と多彩である。

 「忠臣蔵」は、旧作・新作を含め、本伝・外伝とおびただしい作品が作られてきた。そのなかで「女たちの忠臣蔵」が注目を集めてきたのは、女性の視点で描き、女性を中心に構成されてきたからであろう。

 戦前の女性は忍従が強いられてきたが、戦後は「強くなったのは女性と靴下」といわれるように、男と同等の位置を獲得してきた。その女性の目で「忠臣蔵」を読み直したところに、着眼の素晴しさがある。

 構成は二幕。第一幕は十二月十三日、討入り前日、第二幕は快挙を遂げた十五日以降である。

 深川の料亭“松乃屋”に、最後の評定に集う大石内蔵助(西郷輝彦)、子息主税(東新良和)、間十次郎(丹羽貞仁)、大石瀬左衛門(佐野瑞樹)、磯貝十郎左衛門(松村雄基)、それに吉田忠左衛門の郎党寺坂吉右衛門(岡本信人)らがいる。

 大工平助(佐藤B作)の家に出入りする鼓の師匠磯貝と、それを恋するしの、岡場所の女郎になり下ったりえを訪ねる間十次郎との悶着、二幕目で細川越中守屋敷へお預けとなった浪士・磯貝に自分の想いを鼓に託して塀外で一心に打ち続けるしの、それに応じて邸内から鼓を打って応じる磯貝、弟を思い仇討への参加を迫る姉つね、それを明かせぬ弟の苦衰。

 ここに描かれているのは、主に女性の側の信義、情愛、義理、そして何よりも「愛」の追求ということになろう。

 軽薄に、ぺらぺらと喋るような人間は出てこない。その一方でがん固に自己主張をまげない人間もいない。人間、いかに生きるべきか、愛をどうやって貫ぬこうかという男女ばかりである。

 わたしは、初演の帝国劇場から見てきたが、明治座の劇場の寸法がいちばんこの作品に似合っていると感じた。それは、人間の情愛を観客に伝えるのに、最良な大きさだということになる。

 昨今は、演劇界の新作でも、義理だの、人情というと、古めかしいと受けとられる風潮があるが、基本のところでは「人間葛藤」を描くのが演劇とすれば、それを、どのように劇化するかが問題になるので、基本が揺らいでは全体がぜい弱になってしまう。

 時代の風を受けとめながら、どのように演出して、古めかしくなく観客に提供するかが課題となる。よく「温故知新」というが、同じ作品でも、以前と同じではあるまい。

 「女たちの忠臣蔵」の初演時がどうであったか。三十二年も前のことなので、細部は思い出せないが、今日とは異っている部分も多いはずだ。明治座の六年前とも違うはずだ。

 それは、改良・工夫を重ねていく上で、前回と同じであっていいわけはない。時代の風潮は変化している。それを敏感にかぎとりながら、しかも基本はきちんと守られながら、ドラマが編集されている。

 だからこそ、「女たちの忠臣蔵」は観客の胸をうち、長期間にわたって上演が繰り返されてきたのである。

 その点で、改めてこの作品が新しさと古き情愛の素晴らしさを描き上げた名作になっていることを、実感したのである。